「一重まぶた」は「二重まぶた」の進化形/一重まぶたは世界的に珍しい

まぶた

「一重まぶた」は、英語で「Oriental Eyelid(オリエンタル アイリッド)」と表現されることがあります。
 
直訳すれば「東洋人のまぶた」ということですが、これは、欧米人のまぶたのほとんどが「二重まぶた」なので、彼らにとって「一重まぶた」が珍しいということの現れといえます。
 
実際のところ、世界的に見ても、一重まぶたの人は、北東アジア(日本、中国、韓国など)にしかいないといわれています。
 
逆にいえば、世界中のほとんどの人のまぶたは「二重まぶた」ということになります。

「二重まぶた」から「一重まぶた」への進化

人類は、約450万年前にアフリカで誕生したとされていますが、もともと、人類のまぶたは「二重まぶた」だったといわれます。
 
その後、世界各地へ移動していったとされますが、その際、一重まぶたに進化するきっかけになったのが、氷河期の到来だったと考えられています。

まぶたの寒さへの対応(=進化)

アフリカから世界各地へ移動していった人のうち、日本人の祖先となる一部の人は、シベリア方面から移動してきたとされています。
 
約2万年前には氷河期を向かえますが、この時のシベリアの寒さに対応するため、「二重まぶた」から「一重まぶた」に進化したといわれています。
 
極寒の氷河期を生きていくため、人の体はどんどん進化していきました。
 
体毛に水分が付くと凍って体温が奪われていくので、体毛は薄くなっていき、
寒さに触れる表面積を少なくするため、手足は短く、身長は低くなっていき、
寒さの影響を少なくするため、顔のホリは浅く、鼻は低く、鼻の穴は小さくなっていったといわれます。
 
目に関しては、厳しい寒さから眼球を守るため、まぶたの脂肪が増えた結果、二重まぶたから一重まぶたに進化したとされています。

シベリアから北東アジアへ移動

シベリアで一重まぶたに進化した人は、やがて、暖かくて住みやすい土地を求めて南下していき、モンゴル、中国、朝鮮半島、日本へと移っていきました。
 
世界的に見て、一重まぶたの人が北東アジアにしかいないのは、このためです。
 
このとき、日本に移り住んだ「一重まぶたに進化した人」が「弥生人」だといわれています。

二重の縄文人、一重の弥生人

日本には、以前から縄文人がいましたが、そこに弥生人がやってきたというわけです。
 
縄文人は二重まぶたとされるので、日本人は、「二重まぶたの縄文人」と「一重まぶたの弥生人」の混血といえます。
 
このため、日本人は、二重まぶたの人と一重まぶたの人が混在しているというわけです。

二重まぶたは「優勢遺伝」、一重まぶたは「劣勢遺伝」

遺伝のレベルで考えると、二重まぶたは「優勢遺伝(A)」、一重まぶたは「劣勢遺伝(a)」とされます。
 
・二重まぶたの遺伝子:「AA」「Aa」
・一重まぶたの遺伝子:「aa」
 
両親の遺伝子パターンで、子供が二重まぶたになる確率は、理論上では次のとおりです。
 
「AA」×「AA」→ 100%
「AA」×「Aa」→ 100%
「AA」×「aa」→ 100%
「Aa」×「Aa」→ 75%
「Aa」×「aa」→ 50%
「aa」×「aa」→ 0%
 
この数字だけを見ていると、二重まぶたの人の方が多くなりそうな気もしますが、実際には、日本人の約7割が一重まぶたといわれます。
 
日本人のまぶたは、一重まぶたが「優勢」というのが現状のようです。