日本の標準時が「明石市が基準」になっている理由は?

日本の時刻は、兵庫県明石市を通っている「東経135度線」が、基準になっています。

日本の標準時は「明石市」が基準になっているということはよく知られていることですが、「東経135度線」が通っているのは明石市だけではありません。

明石市の他にも、
京都府なら「京丹後市」「福知山市」、
兵庫県なら「富岡市」「丹波市」「西脇市」「加東市」「小野市」「三木市」「神戸市」「淡路市」、
和歌山県なら「和歌山市」
などにも東経135度線が通っています。

こんなにたくさんの都市がある中で、明石市が日本の標準時の基準になったのには、どんな理由があるのでしょう。

日本標準時の候補は、東経135度か150度

世界の時刻は、イギリス・ロンドンの「グリニッジ天文台」を通る経線を「本初子午線(軽度0度線)」として、経度が15度ずれるごとに1時間ずつずれていきます
(360度÷24時間=15度)

日本は経度112度~153度の中にあり、その中で15の倍数の経線は、「東経135度」と「東経150度」の二つだけ。

「東経135度」か「東経150度」のどちらかが通っているところを「標準時」にする必要がありました。

世界の時刻を決めた「国際子午線会議」は1884年に開催されましたが、その2年後の1886年に、日本の標準子午線が「東経135度」と定められました。

「東経150度」は小笠原諸島の南鳥島(みなみとりしま)の近くになり定住者のいない場所となるので、「東経135度」が「日本の標準時子午線」に決定されたのです。

しかし、この時点では、どこの「都市」なのかは定められていませんでした。

いち早く標識を建てた「明石市」

当時、明石市(当時は明石郡)の小学校長会の人たちは、「日本標準時子午線」の重要性を認識していて、1930年には東経135度上に子午線を示す標識を建てます。

この標識を建てるのに、明石郡の小学校の先生たちが給料の一部を出し合ったともいわれます。

これが既成事実のようになり、明石市が他のライバルとなる地域を抑えて、日本の標準時の基準になったといわれています。

その後、1960年には東経135度上に「天文科学館」が設立されています。

兵庫県西脇市には、経緯度交差点標柱があった

兵庫県西脇市は、「東経135度」「北緯35度」とキリのよい場所にあって、明石市が標識を建てる前から「経緯度交差点標柱」があったといわれます。

これは、1923年に陸軍が建てたものだといわれていますが、この標柱が建てられた時に「ここが日本の標準」という声を上げていれば、ひょっとすると、西脇市が標準時の基準になっていたかもしれません。

現在、西脇市は、「東経」「北緯」ともに日本のほぼ中央に位置することから、「日本のへそ」のまちと謳っています。

本初子午線は、「グリニッジ天文台」VS「パリ天文台」

ちなみに、「経度0度0分0秒」と定義される「本初子午線」を決定する際には、イギリス・ロンドンの「グリニッジ天文台」とフランス・パリの「パリ天文台」との間で、激しい争いが繰り広げられていたといいます。

1884年、万国子午線会議に参加した25ヵ国の投票により、「グリニッジ天文台」に決定しますが、もしも、この時に「パリ天文台」に決まっていたら、日本の標準時子午線は富山県の東部愛知県の豊橋付近を結ぶ線になっていたといわれます。