原稿用紙の400字詰めは、「お経の版木」がルーツになっていた!

「原稿用紙」といえば、20字×20行の「400字詰め」というのが定番です。

小説コンクールなどの募集要項でも、「400字詰め原稿用紙200枚」となっていたり、プロ作家の小説などの宣伝でも、「書き下ろし1,000枚の大作」などと、原稿用紙の400字が、基準とされることが多いです。

お経の版木

原稿用紙が、400字詰めになったルーツは、江戸時代の僧・鉄眼(てつげん)が関わった、「お経の版木」にあるといわれています。

京都・万福寺の住職だった鉄眼は、寺に伝わる「大蔵経(だいぞうきょう)」という経典を、一般の人たちにも、広めようと考えます。

「大蔵経」は、鉄眼の師・隠元(いんげん)和尚が、中国の明から持ち帰った、貴重な経典だったので、ごく限られた人しか、目にすることができませんでした。

鉄眼は、この経典を「版木」にして、印刷すれば、たくさんの人が、釈迦の教えに触れることができると考えました。

「大蔵経」は、全6956巻・32万ページにもおよぶ、膨大なものでした。

鉄眼は、資金を募るために、1663年(寛文3年)から、諸国を行脚しますが、集まった資金を、水害や飢饉にあった人の救済に使ったりしたので、なかなか、計画は進んで行きませんでした。

しかし、行脚を始めてから15年後、ついに、「大蔵経」の版木が、完成します。

この版木は、現在も、「万福寺宝蔵院」に収められているといわれていますが、約6万枚の版木は、「20字×20行」で彫られているといわれます。

これは、一般の人が、読みやすいように、字の配列が考えられた結果、「20字×20行」という体裁になったと考えられています。

この「20字×20行」の版木現在の「400字詰め原稿用紙」のルーツといわれています

「大蔵経」に書かれた文字は、「明朝体」のルーツ

「大蔵経」書かれた文字は、明の時代のものだったので、その後、「明朝体」と呼ばれるようになります。

明朝体は、形が美しくて、読みやすい活字体の一つとされていて、普段、目にする活字にも、明朝体のものがたくさんあります。

現代人は、文章を書く時にも、読むときにも、知らず知らずのうちに、鉄眼のお世話になっているといえそうです。