アスペルガー症候群など自閉系の障害を抱えた人は、特徴として、綺麗な顔立ちの人が多いように感じます。
これは、特に子供時代、育てづらい子や生きて行きにくい子が愛されやすいように、神様が(脳みそにハンデを付けたので)顔を綺麗にしてくれたのだと、自分なりに解釈しています。
アスペルガーの人の顔立ちが美形で可愛いのは、愛されやすいように
アスペルガーの太郎は、赤ちゃんの頃、それはそれはものすごく可愛い顔をしていました。
ぼやーっとした赤ちゃんらしさがなく、目や表情に力があったというか、とにかく人目を引く、特徴をもった赤ちゃんでした。
その可愛らしさを武器に、公園や電車の中などでは、かまってくれる人を探してアピールしまくります。
女子高生のお姉ちゃんたちに「ねぇ、あの赤ちゃんチョーかわいい!」なんて言われると、お姉ちゃん達に笑顔を向けて、猛アピールをしまいます。
人見知りも、ほとんどありませんでした。
小学校高学年になって周囲に冷やかされるようになるまで、クラスの中に大抵数人は、太郎のお世話係みたいな女の子が現れました。
(私としては、女の子たちのサポートはとても有難かったです。私自身も仲良くさせてもらい、太郎の学校での様子を聞けたりしました。)
アスペルガーだったといわれているエジソンも男前ですし、アインシュタインの整ったベビーフェイスは、美形といえるでしょう。
発達障害をカミングアウトしているアメリカの俳優さんも複数いますが、こちらも美形の人が多いです。
同じくアスペルガーの夫が男前かどうかは微妙なところですが、特徴ある独特の風貌をしているのは確かだと思います。
また、どうやら太郎はモテるようです。
それも、年上の高校生のお姉さん方が、ちやほやしてくれるようです。
(同級生にはモテません。「あいつはちょっと変わってるけど、面白い奴」という位置づけ(担任談)だからでしょう。)
アスペルガーの美形は、共同体の中に溶け込みやすくするため?
「カップルの遺伝子が遠い程、美形の子供が生まれる。」という説があります。
ハーフに美男美女が多いという特徴があるのも、そのためだそうです。
その説を聞いて、アスペルガー症候群の存在について、更に以下のような仮説を立ててみました。
普通、人は、距離感の近い存在や既知の存在に安心感があり、変化や異物を警戒します。
その安心感のために、共同体の結束を優先して、狭いコミュニティの中での婚姻が繰り返されると、血が濃くなり健康な子が生まれにくくなります。
これでは、逆に共同体が弱体化してしまうので、共同体の外から人を迎えて子孫を残すようになります。
大昔から、人類が経験したことによって手に入れた知恵だと思います。
つまり、人類は、知恵として共同体を飛び出して行ける素質を、ある程度必要としたのではないでしょうか。
アスペルガーの太郎や夫は、アスペルガー症候群という特質から、常に「外国人」のようです。
周囲から見て、感覚や行動様式が異質だということもありますが、本人が共同体への帰属意識を持ちづらいという特徴が、大きく影響しているのだと思います。
夫は、純粋な日本人で、ほんの数年外国に留学していただけのはずなのに、「(国内の話題を指して)この国の人は~」と、まるで自分が日本人ではないかのような発言をよくします。(まったく缶コーヒーの宇宙人そっくりです。)
共同体の中に染まり切れず、かといって完全に離脱するわけではなく、片足だけ突っ込んだような、少し外れた関わり方を好むという特徴があります。
アスペルガー症候群の特性は、共同体から離脱する遠心力として作用します。
共同体から離脱した後、別の共同体に関わろうとした時、きっと姿が綺麗な方が受け入れられやすかったはずです。
大昔、美しさは、健康と表裏一体でした。
群れの外から来た姿の綺麗な男に恋をして妊娠し、子供が生まれるころに父親としての役割が求められ出すと、また男はふらっといなくなってしまう。
風変わりなところも、恋する乙女には「あばたもえくぼ」でしょうし、何しろ長い間そこにいてボロが出る前にトンズラするのですから、遺伝子の拡散にはもってこいです。
アスペルガー症候群は「ある程度」生まれるように仕組まれている?
大昔は、コミュニティの外から別の血筋を入れるために、アスペルガー症候群の人々がある程度生まれるように、遺伝子に仕組まれたのではないかと思っています。
アスペルガー症候群の人たちは、時代を逆のぼれば逆のぼるほど、生き残りづらかったと思います。
共同体からはぐれてしまえば、食物の確保は一気にサバイバル化します。
アスペルガーの子供は、自分の欲求が最優先ですから、言いつけを守らせるには、周囲の相当な努力が必要になります。
そもそも、子供の死亡率が高かった時代が長かったのですし、アスペルガー症候群の子は、自ら危険に飛び込んでいく(ように見える)ので、更に生き残りづらかったと思います。
医療も人権意識も高まり、子供が生き残る確率がグンと上がった現在では、彼らの特性が、症候群として目立つようになってしまったのだと思います。
バブル期のような景気であれば、仕事を渡り歩いくフリーターという働き方も良かったかもしれません。
でも、景気が悪くなって組織に余裕がなくなり「統制」が求められ出すと、アスペルガー症候群の人にとっては、とたんに居心地が悪くなってしまいます。
これらの考えは、あくまでも私見であり、科学的根拠がある訳ではありません。
アスペルガーの太郎や夫を観察することが、私の生活の大きな部分を占めているので、少なくともこれらの仮説は、太郎や夫にとっては、真実に近いことです。
アスペルガーも成長していく
アスペルガーの夫が、最近になって、太郎と能動的に関わるようになってきました。
(「小さい子供の面倒見る」時期には、余り役立つ人ではありませんでした。)
自分が、専門分野で仕事を成功させている背景をふまえて、太郎の自立のために自分が何かできないかと考えたようです。
太郎との話し合いの結果、いま夫は、太郎に英語を教えています。
反抗期真っ盛りの太郎が、その時間になると、完全にモードチェンジできます。
太郎は「将来、外国で仕事をするようになりたい。」という希望を、最近になって打ち明けました。
先の展望を描きづらいアスペルガー症候群の特性から考えると、この希望が自分の中で明確になること自体、かなりの成長です。
そうと決めたら、かなり頑固な面があるのもアスペルガー症候群の特徴なので、頑張って実現させるのではないかと期待しています。
違う形で実力を発揮するチャンスもあるでしょうし、今頑張っていることを評価したいと思います。
幼児の頃の太郎の夢は「機関車になりたい」でした。
「機関車を運転する人になりたい」ではなく、「機関車そのものになる」のが夢でした。
機関車になりきって歩いたり走ったり、食べたり寝たりしていましたし、「明日起きたら僕は機関車になってる?」と、太郎は真面目に質問していました。
私が、「そうだといいね」という回答をした翌朝は、自分が人間のままであることにかんしゃくを起こします。
でも「機関車にはなれない」という回答にも悲しくてかんしゃくを起こしてしまう。
私は、太郎が成長して、実現可能な夢を追い出したことを、心の底から、とても嬉しく思っています。