こぶしをきかせて、独特の節回しで歌う歌謡曲が、「演歌」ですが、演歌は、もともと、政治の「演説」の代わりに歌われていた歌だといいます。
「演説」とは、「道理、教義、意義などを述べ解く」という意味ですが、この言葉が、よく使われるようになったのは、明治時代に、福沢諭吉が、「スピーチ(speech)」という英語の訳語として、使ってからだといわれています。
演歌=演説歌
明治20年代に、自由民権運動の活動家が、街頭での演説の代わりとして歌い始めたのが、「演説歌(=演歌)」と呼ばれる歌です。
当時の演歌といえば、軍歌や唱歌のメロディに、五七調の歌詞をつけて歌うというものが、ほとんどだったといいます。
その後、演歌は、風刺的な歌に変わっていき、日露戦争後には、演歌は、「書生」と呼ばれる学生が、アルバイトで歌うことが多くなり、「書生節」とも呼ばれるようになります。
この頃には、演歌を歌うことを生業とする、「演歌士」と呼ばれる人も現れます。
次第に大衆演芸化
当初は、政治的な意味合いが強かった「演歌」ですが、次第に、政治色は薄れて、人情や情緒を歌う「大衆演芸」に変わっていき、「艶歌(えんか)」と呼ばれるようになります。
「艶歌」は、1950年(昭和25年)頃になると、再び、「演歌」と表記されるようになりますが、これは、当時の当用漢字(現在の常用漢字)に、「艶」の字がなかったのが、その理由だといわれています。
今では、「日本の心」を歌う歌として人気がある、歌謡曲の「演歌」の生い立ちが、政治的な意味合いが強い、「演説歌」だったというのは、少し意外です。