「力士の後援者」のことを「タニマチ」と呼ぶのはどうして?

力士の「後援者」や「ご贔屓」のことを、相撲界の隠語で「タニマチ」と呼びます。

相撲に興味がなくても、「タニマチ」という言葉は、耳にしたことがあるのではないでしょうか。

どうして、「力士の後援者」が「タニマチ」と呼ばれるのでしょう。

大阪谷町筋のお医者さん

「タニマチ」の由来は、明治時代までさかのぼることになります。

明治の終わり頃、大阪の「谷町筋」に相撲が大好きなお医者さんがいて、力士からは、一切治療費を取らなかったといわれます。

この医師・薄恕一(すすきじょいち)氏は、「貧乏人は無料、金持ちは余分に払え」という「赤ひげ先生」としても有名だったといわれますが、
大阪の谷町筋の周辺には、相撲部屋も多く、力士との交流も多かったこともあり、力士からは「谷町の先生」といって慕われていたといいます。

この「谷町の先生」が、「タニマチ」の由来になっているといわれています。

薄氏は、大阪府議会の議長も務めるなど、人望も厚く、谷町を代表する人物だったとされています。

現在では、「タニマチ」というと、「力士に金銭的な援助をする人」というような意味合いで使われていて、「後援者」や「ご贔屓」などをさす言葉として使われるのが一般的です。

大坂相撲

現在の相撲は、日本相撲協会が取り仕切っていますが、以前は、「江戸相撲」に対して「大坂相撲」があったといわれます。

江戸時代には、冬と春には「江戸」で、夏前後には「大坂」と「京都」で相撲が開催されていたとされますが、
江戸時代の後期になると、人気が高まる「江戸相撲」とは対照的に、「大坂相撲」は徐々に人気が衰えていったといわれます。

そんな中、1927年(昭和2年)には、「東京(江戸)相撲」と「大坂相撲」が合併して、「日本相撲協会」が発足しますが、
現在の「タニマチ」という言葉は、「東京(江戸)」や「京都」と並んで相撲の盛んだった、「大阪」の「谷町」が発祥だったというわけです。