水泳の「バタフライ(butterfly)」は「蝶」という意味です。
泳ぎ方が「蝶が飛んでいる姿に似ている」ことから、「バタフライ」と名付けられたといわれています。
「バタフライ」は、アメリカで生まれた泳法で、その泳法のもとになったのは「平泳ぎ」だといわれます。
「平泳ぎ」のスピードアップ
「バタフライ」は、「クロール」の次にスピードが出る泳ぎ方といわれています。
「平泳ぎ」をさらにスピードアップしようとして考え出された泳法が、「バタフライ」です。
当時の「平泳ぎ」のルールは、「両肩を水平に保ち、腕・足は左右対称に動かし、キックはカエル足にする。」という簡単なものだったといいます。
「平泳ぎ」は、腕のリカバリーを水中で行うので、その分、抵抗が大きくなって、推進力が小さくなるといわれています。
この「腕のリカバリー」を水上で行えば、より速く泳ぐことができるのではないか、ということで考案された泳法が「バタフライ」です。
リカバリーを水上で行うことは、当時の平泳ぎのルールでは、違反にはなりませんでした。
「バタフライ」が「平泳ぎ」から独立
1933年に、アメリカの選手が、「平泳ぎ」の種目で、初めて「バタフライ」の泳法で泳いだとされています。
この時の足は、まだ「カエル足」で、「バタフライ式平泳ぎ」と呼ばれていました。
3年後の1936年には、「バタフライ」が、平泳ぎの泳法として正式に認められ、同年に開催された「オリンピック・ベルリン大会」の「平泳ぎ」では、アメリカやドイツの選手が「バタフライ式平泳ぎ」で泳いだといわれます。
1952年の「リンピック・ヘルシンキ大会」では、「男子平泳ぎ200メートル」の決勝に進出した選手のほぼ全員が、「バタフライ式平泳ぎ」で泳いでいます。
この決勝で、日本の長沢二郎選手が、6位に入賞しています。
しかし、レース後、長沢選手は、両膝を故障し、カエル足の泳法ができなくなってしまいます。
そんな状況で長沢選手が生み出したのが、イルカの尾ひれのように両足で水を蹴る「ドルフィンキック」です。
この泳法で、長沢選手は世界記録を連発しています。
これがきっかけとなり、1956年の「オリンピック・メルボルン大会」では、平泳ぎから独立して、「バタフライ」が公式種目となります。
新泳法「バタフライ」の公認には、日本人選手が大きく関わっていたというわけです。