発達障害を受け入れ、アスペルガー症候群のことを本人に告げる【息子-10】

太郎が「アスペルガー症候群」だと、お医者さんに診断されたのは、9歳の時でした。

発達検査を受けたのが、7歳7ヵ月の時だったので、1年以上の期間が空いていましたが、これは単純に「順番待ち」をしていたからです。

発達検査後の医師の診断

発達検査の結果を聞いた面談の最後に、「医師の診断を希望しますか?」と尋ねられました。

私は、頼れるのなら、どこでも誰でも頼りたいと思っていたので、「はい、もちろん」と答えました。

「診断を受けるか受けないかは自由です。診断を受けたからと言って、特に今後何かが変わる訳ではありません。」とも説明されました。

私は、その時に言われたことの意味が、理解できませんでした。

後になって分かったのですが、それは、療育手帳や給付金の対象ではないし、現状では薬の処方などがも必要ないから、という意味だったのだと思います。

人によっては、「障害」という診断そのものを、心理的に受け入れられないという人もいます。

私は、「アスペルガー症候群」という診断名がつくことによって、主人や学校の先生に説明しやすくなると考えました。

私の不安や大変さは、世間体やプライドを気にするというレベルを、とっくに通り過ぎてしまっていました。

今考えると、やはり医師の診断を受けて良かったと思います。

まず、主人や学校の先生に説明しやすくなりました。

当初、全く理解を示さなかった主人の見方を変えることができたのは、「専門家の書面」と「医師の診断書」、それに自分で読んだ「専門書」のおかげでした。

学校の先生方には、それまでは長々説明してきたことも、「アスペルガーです。」という一言で、説明することができました。

支援方法を試す

「障害」という言葉に、まったく戸惑いがなかった訳ではないのですが、検査結果を踏まえて、専門書を何冊か読むうちに、「太郎は、「普通」であることを、いちいち「学習」して身に付けて来たんだ。あんた、エライねぇ~」と、妙に感心してしまいました。

太郎の突拍子もない行動やかんしゃくと、「普通にしている状態」との間には、太郎の物凄い「学習」があったのだということが分かったのです。

記憶が長く保たれない幼児期は、学習の蓄積ができないので、他の子のようにできなかったのだと気付きました。

記憶できる成長段階になって、字を覚えだした頃に、幸運なことに、「絵カード」と出会うことがができたのです。

発達検査の結果を聞いて、すぐに専門書を読み始めましたが、それらの本の中には、具体的なアスペルガー症候群に対する支援方法が紹介されていました。

「アスペルガー症候群は、◎◎という特徴があるので、○○が苦手。苦手だから、▲▲のような行動をとってしまう。だから、□□のような対応をすると、本人の苦手意識が軽減して混乱しなくなる。」

といった具合です。

いわばアスペルガー支援者の「ハウツー本」です。

私は、試してみたくて仕方なくなりました。

医師の診断を待たなければならないと、思い込んでいたのですが、臨床心理士さんに相談すると、「まったく問題ありません。早い方が良いです。」とアドバイスをもらいました。

本人に、アスペルガー症候群であることを告げる

本に載っている「作戦」を試すのに、あまり深く考えずに始めてしまうこともできたと思います。

でも、目新しいことや新しいやり方に、太郎が拒否反応を示してしまっては、元も子もないと考えました。

なぜこんなことを始めたのかという理由を、太郎は知りたがると思ったのです。

本人へのアスペルガー症候群の告知は、当事者ならみんなが通る道のようで、いくつかの本やサイトで体験談を読むことができました。

でも、アスペルガー症候群の症状の出方は、人によって千差万別で、他人の例を真似ることが太郎にとって正解なのかどうかは、分かりませんでした。

臨床心理士さんにも相談してみましたが、どうするかの判断はお任せするしかない、ということでした。

悩んだ結果、包み隠さずに、すぐに太郎に話すことにしました。

すぐ伝えようと考えた理由は、善意にせよ、悪意にせよ、他人から本人に知らせてしまうのを避けたかったからです。

隠さず伝えようと考えたのは、中途半端に説明しようとしても、私自身が全容を分かっていないのだから、加減ができないだろうと思ったからです。

ただ、分かり易い言葉を選ぼうと思いました。

下の子が昼寝している間に、太郎と二人だけで話す

「この前のパフェの日のテスト、覚えてる?」

『うん。あのパズルができなかったやつね。』

「その結果をね、テストをしてくれたおじさんに会って聞いてきたの。」

『お母さん、あの人はおじさんっていうよりも、お兄さんっていう年齢でしょう。』

「うん、お兄さんだね。そのお兄さんがね、お母さんにすごいことを教えてくれた。」

『何?聞きたい。』

「太郎はね、言葉についてめっちゃ賢いねんて。天才かも知れんて。でもね、どうも他のところのパワーを言葉方面に使っちゃってて、脳みその働きがどんくさい部分もあるねんて。そのめっちゃ賢いところと、どんくさいところをうまく工夫して、これまでいろんなことができるようになってきたんだって。つまり、周りの子とちょっと違うらしいの。」

『僕、学校では物知りって言われてて、みんなが知らない言葉とか地名が出てくると、先生が「それでは博士に聞いてみましょう」って言ってくれるんだ。この前はね・・・・・』

「先生があててくれて嬉しかったのね。詳しくは後で聞きたい。お母さんのお話しまだあるから聞いてくれる?」

『えー、まあいいよ。パフェ美味しかったしね。』

「お母さんは、今まで、太郎は他の子と同じ脳みその仕組みだと思っていたから、他の子を育てるやり方をずっと参考にしていたのね。だから、太郎とお母さんはケンカばかりだったらしいの。私のやり方があってなかった。ごめんなさい。今、太郎の脳みそと同じタイプの人について、本で読んで勉強してる。その本の中に書いてある方法を試すと、太郎がお母さんに怒ったり、お母さんが太郎を怒ったりするのを減らせるらしいのよ。やってみてもいい?」

『どんなこと?その本貸して。』

私は、図説や絵の多く載っている一冊を渡しました。

太郎は、ざーっとめくって、かいつまんで読んでから、

『幼稚園の時の絵カードみたいな感じ?もう絵は赤ちゃんぽいから止めてね。』

「分かった。絵は止めて字にする。そう、絵カード始めた時みたいな感じ。」

『オッケー、いいよ。遊んでいい?』

こんな感じでした。

なんともあっけないというか、私の覚悟も不安もどこかに行ってしまったようで、拍子抜けでした。

最初に、「正直に隠さず、待たずに太郎に話す(相談する)」という選択をして良かったと思います。

有事再診には本人を同席

診断後は、同じ診療所に「有事再診」を繰り返しているのですが、時間が許す限り、太郎を同席させました。

医師には「お母さん、太郎君は良く分かっているから聞かせても大丈夫ですよ。」と言ってもらい、太郎も私も、どんどん相談上手になっていきました。

後になって、太郎が大きくなってから本人に聞いたことですが、小学校を卒業するくらいまで「自分は人と違う感、ストレンジャー感は、とても強かった」そうです。

「太郎の脳はアスペルガー症候群というタイプ」という話を、最初は「ふーん」ぐらいの感じで聞いていたそうです。

その後、学校生活がしんどくなるに連れて、自分で原因探しをしたりする中で、だんだんと理解が深まっていったようです。

たまに、私の本棚から「アスペルガー」関連の本を出して読んでいるのも知っていましたが、おそらく私がダメ出しをした時よりも、こうしてこっそり読んだ「アスペルガー本」の中身により、行動を修正する学習を積んでいったんだと思います。

小学校5年生では、半年間不登校を経験しましたが、6年生からは復帰、中学校では学生生活を謳歌しました。