アスペルガーの不登校ライフに必要な学習条件【息子-18】

フリースクールの先生には、本当に良く指導してもらいました。

甘やかすところは徹底的に甘やかし、厳しくするべきところは厳しく、太郎自身の思いに寄り添い、育ててくれました。

学校への復帰を目標に

フリースクールの先生は、アスペルガー症候群があろうとなかろうと、人として誠実にあれと導いてくれました。

追い詰められた環境を抜け出してみれば、反撃に身構える必要もなくなり、周囲にいる人との関係を大事にしたくなって、社会性が育っていきます。

太郎の精神的な回復を待って、学校に復帰させることを目標としてくれました。

フリースクールに通うことによって、基本的な体力を失わずに過ごせたことは、大きな意味があったと思います。

掃除、農作業、料理、草野球など、体を使った作業に参加することで、精神的なバランスも維持しやすくなります。

閉じこもってゲームばかりに逃げ込むことを許してしまっていたら、学校に復帰しても、体力的に追いつかなかったと思います。

引きこもらせないだけで、維持できる体力や筋力があります。

従兄と太郎の会話

その年の正月、私の従兄と太郎が話す機会がありました。

従兄は、経営者向けのコンサルタントなどを仕事にしている人で、コーチングの資格も持っています。

従兄「太郎は将来どういう人になりたいの?」

太郎「うーん、外国で仕事をするとか、外国に関係する仕事とか、とにかく外国にたくさん行ってみたい。」

従兄「外国に行ってみたい。外国に関係する仕事をしてみたい。そういうこと?それなら、そのためには何が必要だと思う?」

太郎「えーと、英語とか?」

従兄「そうだね、まず英語はきっと必要だね。他には?」

太郎「相手の国のことを知っとく、それなら自分の国も要るね。あとお金の仕組みとかもわかっとかないと。」

従兄「おー、具体的になって来た。それで、太郎はそれをどうやって身につける?」

太郎「勉強する。」

従兄「うん、勉強だね。で、太郎。小学校ってタダだって知ってる?お得なわけよ。それに効率的でもあるわけ。その先に中学受験して私立に入ったとしても、自分一人で勉強するより、プロに教えてもらって、仲間と競争しながら勉強するほうが、はるかに効率よくてお得なんだよ。」

太郎「そうだよね。僕は今、いろいろあってフリースクールに行ってるけど、6年生からは復帰する。」

この会話のおかげで、太郎の意識はグッと復帰に向かいました。

将来を逆算して、今の行動を決めようとしたのです。

アスペルガー症候群であることの利点は、一度こうだと考えが固定するとブレないことです。

良い意味で「流されない」のです。

今でも、太郎はかなり打算的に行動を決定します。

「頑張っていれば、いずれ道が開ける。」といったような精神論が効きません。

「この日までに、この範囲。遡ってこの日からやれば良い。」と考えて行動するので、テスト勉強などはいつもギリギリです。

想定外のことが起こると、予定がくるって失敗するのですが、「余裕をもって」とか「できるだけ頑張る」という思考は、アスペルガー症候群には難しいようです。

学習の権利の保障

義務教育中ですから、太郎の学習する権利を守る必要がありました。

精神科の医師も、その辺りを特に気にしていました。

子供自身が精神的に病む前に、親が不登校を選択する場合、それが子供の学習の権利を侵害する結果にしない配慮が必要です。

太郎の学習自体は、もともと授業を聞いていたわけではないので、これまで通り独自路線で良いだろうと判断しました。

通信教材で国語と算数、英語を学習しており、その教材が自学自習のためには、非常によくできた教材でした。

分からないところを私がフォローするという学習スタイルが、すでに定着していました。

毎日、新聞は端から端まで読んでいたし、地理や歴史に関しては、それこそ湯水のように読書していたので、知識量は大人顔負けでした。

主人の趣味は寺社仏閣巡りや史跡巡りなので、自分の出番が来たと張り切って連れ出していました。

理科に関しては、テストの点は申し分なかったので、本人に興味が出てくるまでは放置で可と判断しました。

上級生からのいじめもあったので、太郎の中学受験はこの頃に決めました。

自分の環境を確保するという意味で、太郎は受験準備に積極的でした。

太郎の勉強を私が主導したのは中学1年までで、受験の準備が最も関わった時期となりました。

信頼できる人に任せる

復帰の時期を学校に明確に伝えたのは、春休みに入ってからでした。

次男の参観や行事のため、役員の仕事をこなすために、学校に行く機会はたくさんありましたが、I先生と話をする機会はありませんでした。

生徒指導の先生や、太郎を気に掛けてくれていた先生が様子を聞いてくれ、太郎が元気でいることは伝えていました。

始業式当日、太郎は、かなり緊張して登校しましたが、帰宅した時の顔はホッとしたものに変わっていました。

私は「買い物に言って来る!」と嘘をついて、太郎ノートのコピーを持って小学校に向かいました。

担任になった先生とスクールカウンセラーが待ち構えていました。

「お母さん、太郎君の様子はどうでしたか?」と尋ねられ、「ホッとした顔で帰って来ました。あまりはっきりした根拠はないんですが、たぶん復帰は大丈夫だと思います。」と答えました。

新しい担任のN先生

6年生でお世話になったのは、N先生という若手の男性の先生でした。

太郎ノートのコピーは渡しましたが、分かってもらえるかどうかは、自信がありませんでした。

N先生自身が観察してくる方が大切だと思い「参考程度に」と言い添えました。

根拠のない大丈夫感でしたが、太郎はアスペルガー症候群らしい間違いやトラブルをいくつか起こしながらでも、クラスにもN先生にも馴染んで行きました。

N先生からも、太郎がしでかしたことについては、もちろん電話をもらいましたが、I先生との違いを後になって気が付きました。

N先生は、太郎がしでかしたことの経緯を私に説明してくれて、太郎にどう話したか、太郎の様子や反応はどのように変化したか、細かく説明してくれました。

私は、太郎の行動の理由や感じ方を想像して、N先生に聞いてもらいます。

そうすることによって、N先生自身も太郎のことを分析してくれるようになりました。

太郎は「爬虫類化」している間は話を受け入れることができません。

「哺乳類化」していれば、アスペルガーらしい認知のゆがみを修正することも簡単で、周囲の感じ方の想像もできるようになり、何が間違っていたのかを理解することができます。

N先生は、「哺乳類化」がとても上手になりました。

I先生は、太郎がしたことのみを私に話し、その経緯は話しませんでした。

もしかしたら、太郎に尋ねてもいなかったかもしれません。

経緯も事情も分からなければ、アスペルガー症候群の子は、ただの悪い子になってしまいます。

謝罪するかどうかが、I先生にとって大事だったのかもしれません。

「なぜ?」に着目した情報交換が必要だったのではないでしょうか。

このことに気付いて、N先生に任せて大丈夫だと思うようになりました。

当然のことながら、私は学校での太郎を遠隔操作できないのです。

信用できる人に、どーんとお任せして、いじくりすぎないことが大切です。