乳児期の頃のアスペルガー/母親としての違和感【息子-1】

私は、二人の男の子の母親です。

四人の家族のうち、夫と長男がアスペルガーです。

長男(以後は「太郎」(仮名)とさせていただきます。)は、9歳の時にアスペルガー症候群であると医師の診断を受けました。

アスペルガー症候群の太郎を育てて躾けるには、一般的な育児書や先輩ママ達のアドバイスだけでは不足でした。

専門的な支援のノウハウを、育児に取り入れる必要がありました。

アスペルガー症候群ならではの独特な苦労の連続でしたが、15歳になった太郎は、学校生活を送り、進路を悩み、頑張れる少年に成長しました。

今では、診断を受けた時のような「お先真っ暗感」はありません。

私の経験が、似たような境遇の誰かの不安を取り除く役に立てたら、嬉しく思います。

発達が早すぎて、検診では「問題なし」

太郎が、まだアスペルガー症候群と診断されるずっと以前の、新生児のころ、私が、新米ママとして悪戦苦闘しながら抱いた感想が、当時の手帳に残っています。

「私が出産した途端に『お母さんのプロ』になれないのと同じように、赤ちゃんも『赤ちゃんのプロ』として生まれて来るわけじゃないのね。」

他の赤ちゃんにはない難しさがこの子にはあるのに、それを私がうまく説明できないという不安があらわれています。(ちなみに、第2子の時には「今度は、『赤ちゃんのプロ』が生まれてきた」とメモがあります。)

太郎は「忙しい赤ちゃん」でした。

ボーっとしていることが少なく、かかわりや刺激を、他の子より多く求める子だったと思います。

とにかく、何ごとにもよく反応し、よく笑い、ヤル気満々なのです。

里帰り出産でお世話になっていた両親からは、「もっと放っときなさい」とよく叱られました。

育児本に紹介されている例より、大抵のことは「はやく」出来るようになりました。

初めての遊び

例えば、こんなことがありました。

生後1か月ぐらいの時からだったと思います。

私が「ももたろう」の絵本を読み聞かせをしていると、何度読んでも「どんぶらこ~ どんぶらこ~」というところで、手足をバタバタさせて嬉しそうにします。

私には「どんぶらこ~」という言葉の響きを、楽しんでいるように思えました。 

両親に伝えても「あなたの欲目で、勘違い」と一笑に付されましたが。

私は「そうよね~」と応じつつも、太郎が喜んでいる様子を見るのが嬉しくて、二人きりになると、こっそり「どんぶらこ~」とささやいてみて、ニコニコ、バタバタする太郎を見て楽しんでいました。

今思えば、これは私と太郎が開発した初めての「遊び」でした。

周囲は喜ぶが、母は違和感

後の発達検査で分かったことですが、太郎のIQは、言語性がかなり優位に発達していました。

その後の発語、発話も非常に早かったです。

口が達者で、言葉もよく覚えました。

電車が好きで、2歳ごろには、電車の図鑑絵本を丸ごと暗記しており、それを聞かせるのが彼自身の遊びだったようです。

聞かされた親戚は、ただびっくりしていましたが。

10か月検診の時には、スタスタ歩いていましたし、大抵のことは、本当に早く出来るようになりました。

発達の早さに皆が喜んで、「落ち着きがない」という評価は、つねに後回しにされました。

太郎は、本当によく遊ぶ赤ちゃんだったので、遊びに付き合うのに忙しかったです。

すごくよく遊ぶので、すごく疲れもしたのでしょう、とてもよく寝る子でした。

大人の用事(家事など)は、すべて寝ている間に済ましていました。

周囲のほめ言葉に「ありがとう」と応じつつも、私は伝えにくい違和感を抱えていました。

説明できない違和感

生後半年ごろ、こんなこともありました。

他の赤ちゃんには、あまり見られないことだと思います。

太郎は、まだ寝返りができませんでした。

完全母乳で、何しろよく飲むので、まるまるしていました。

重たい赤ちゃんは、寝返りが遅い傾向になると思います。

ちなみに、お乳を飲むという行為が、とても好きだったらしく、満腹になっても飲むので、よく吐く子で大変でした。

かんしゃく?

私は掃除機を使っていて、太郎が首を動かしても見えないところにいました。

すると、太郎が全身を突っ張るように力んで、「キィーーー」と叫びながら震えているのです。

びっくりして、そばに駆け寄りました。

「けいれん?」と思ったのですが、私が顔をのぞき込んで少しすると、叫びと力みを「止めた」ように見えました。

「けいれんなら、自分で出したり引っ込めたりできないよねー」と思いましたが、「今のは何だったの?」と疑問が残りました。

助産婦さんやお医者さんに尋ねてみても、「?」という感じで、「その前後は元気なんでしょ?」「じゃあ、様子を見てください」で終わりです。

私は言葉どおり、バカ正直に、観察して様子を見ることにしました。

まず、「キィーーー」が、とても意識的に見えたことが重要に思えました。

一種のかんしゃくのように感じたのです。

しかし、どの育児書にも、この月齢の赤ちゃんの「かんしゃく」について書かれているものは、ありませんでしたので、自分の感じ方には、はなはだ疑問を持っていました。

似たような条件や環境が揃っていても、普段「キィーーー」は起こりません。

よく考えてみると「放ってある時」「構ってもらっていない時」という共通点があるように思えました。

かんしゃくのきっかけ

かんしゃくのきっかけを探した結果、どうやら太郎が「つまらない」ということがポイントになっているのだと感じました。

例えば、同じ状態でも、私が「太郎はネンネン、ネンネして~」など、適当な歌を歌っていたり、いないいないバァのように、たまに顔をのぞき込んだりしていると、「キィーーー」は起きません。

おもちゃを握っている間も大丈夫でした。

でも、すぐに投げてしまうので、私の方が一々拾うのが面倒臭くなってしまいました。

5個ぐらいを常にエプロンのポケットに入れておき、「太郎ちゃん、ポイポイねー。ほい、次」と別な物を渡してあげます。

そのうち、「ポイポイ」という言葉にも反応しているのが分かりました。

その後しばらくして、「キィーーー」は無くなっていきました。

寝返り→お座り→立っち、はいはい→あんよと、行動範囲や視界が広がるにつれて、退屈しなくなって行ったのだと思います。

アスペルガーには、「育児書」よりも「母の観察」

私は、太郎の育児が余りにも楽しくて、仕事復帰を延期しました。

結局、どんどん大変になってしまい、子供を預けて働くという選択はしませんでした。

自分でお金を稼がないということに、今でも寂しさは感じていますが、太郎を育ててしつけていく上では必要な選択でした。

少しずつ感じた「違和感」により、「観察」する癖がいつの間にかついたことは、その後本当に役立ちました。

母親としての特別なスキルではありませんが、アスペルガーな子供の母親にとっては、何よりも重要です。

育児書は、たまに確認するぐらいにとどめ、目の前の子供が楽しそうか、元気そうかをしっかり見てあげれば良いと思います。