水清ければ魚棲まず(みずきよければうおすまず)
「水清ければ魚棲まず」の意味
清廉潔白もあまりに度がすぎると、人から敬遠されて孤立してしまう。
「水清ければ魚棲まず」の語源・由来
「水清ければ魚棲まず」の語源は、「後漢書」の「班超伝」にある、以下の故事が由来になっています。
後漢の時代、班超(はんちょう)は、西域の諸国家を服従させることに成功していました。
その班超も歳をとったので、後任の任尚(じんしょう)に任を引き継ぐことになりました。
任尚は班超に「西国を統治するよい方法を教えてください。」と尋ねました。
班超は答えました。
「あなたは、厳しくてせっかちな性格のようですね。
水があまりにも澄んでいると、エサもなく、隠れる場所もないので、魚は棲まないものです。
西域の統治も同じで、あまり厳格すぎてはいけません。
大まかで簡易な統治を心がけるのがよいでしょう。」
任尚はその場では納得した様子でしたが、後日不満げに人に言いました。
「班超は、きっとすばらしい統治の策をもっていると期待したが、答えはごく平凡なものでしかなかった。」と言って、班超の言ったことを実行しませんでした。
その結果、任尚は西域の平和を維持することができませんでした。