アスペルガーは「人類の進化」と「絶滅予防」に貢献している

急に形而上学的になりますが、半数がアスペルガー症候群という家族構成の中にいると、余りにも理不尽な苦労が多いために、何か理由を探したくなります。

アスペルガーな主人と太郎に苦労する私の毎日にも、何か意味があると思いたいのです。

以下は私の勝手な私見ですが、ある程度の真実は含まれていると思っています。 

エジソンやアインシュタインもアスペルガー症候群

以前、心理士さんが「アスペルガー症候群がなかったら、今も原始時代みたいな生活だったはず。」と言っていました。

エジソンやアインシュタインもアスペルガー症候群だったのではないかと言われていますから、他の発明や研究の多くも、アスペルガー症候群の「こだわりの強さ」が発揮された成果かもしれません。

でも、アスペルガー症候群のうちの一握りが「天才」と呼ばれる業績を残したのであって、多くのアスペルガー症候群の人たちは、ただの「変人」だったはずです。

ハンディキャッパーとして認識される以前のことなので、風当たりは厳しかったでしょう。

本人も家族も、幸せを感じづらかったと思います。

他に比べて、はるかに嫌われやすい性質のアスペルガー症候群は、どうやって生き残って来たのか、きっと何らかの役割があったのだと、私は考えたいです。

「仲間はずれ」のなかで矯正されたアスペルガー

「村八分」という言葉があります。

「仲間はずれ」という意味が妥当ですが、これが「追放」でないことに意味があると思います。

近代以前は、村などの共同体を外れると、生きて行くのが非常に困難だったはずです。

盗みや掟破りには相応の罰が用意され、労役や体罰などの罰を受けて反省し、繰り返さないことが重要なことでした。

貴重な労働力として共同体を支える構成員を育てる(失わない)目的もあったと思いますし、他の構成員の協力や統制を維持するためにも、不実を許さない必要があったでしょう。

もし、アスペルガーの太郎がそういった時代にタイムスリップしたら、かなり苦労しそうです。

暗黙のルールを破りまくりそうですし、限られた食物を食べたいだけ食べてしまうでしょう。

太郎は、自分が行きたい、見たいと思えば「立入禁止」の札は無視してもよいと捉えますし、自分が食べたいと思えば(たとえ満腹でも)全員分を食べつくしてします。

太郎は、罰を受ける機会が多くなりそうです。

全体の都合より自分の欲求を優先させるので、罰による学習効果はあまり期待できません。

繰り返すうちに、共同体の中で「仲間はずれ」になっていき、その恨みから報復に出ようとして(自分目線でしか物事を捉えない傾向があるので、こうなります)、更に事態を悪化させそうです。

それでも、現実問題として制裁を避けるため、つまりは「生きていくため」に、アスペルガー症候群らしい問題行動を矯正することになるでしょう。

アスペルガー・太郎の中学生活

太郎の中学校生活は、正に上記のような「村社会」に似たものであったろうと考えています。

その中で「仲間はずれ」を避けるために、自分の行いを(自分自身で)かなり矯正しました。

小学校時代に、不登校を経験したことの反動でもあると思います。

自分のアスペルガーとしての感じ方が、周囲とズレている可能性を意識して、涙ぐましいほど気を遣って行動します。

その結果、学校内での活動や友人関係は、小学校時代のことが嘘のように安定しました。

残念ながら、その努力は対外的な関係に限定されていて、家族はその反動を喰らって、余計にしんどい思いをしています。

高校生活ではもう少し力が抜けて、家族も自分にとっての社会の一つであると気付いてくれることを期待しています。

アスペルガーであることが共同体からの遠心力に

おそらく、アスペルガー症候群の気質を持つと、共同体から離脱しやすい傾向になると思います。

生きて行く場所を確保するために、アスペルガー症候群の特性をある程度矯正して、共同体に馴染むことができたとしても、それが彼らにとって自然で心から幸せを感じる状況ではないかもしれません。

ある日を境に限界が来て出奔してしまうような、放浪癖に似たものを持ち合わせていると思います。

私の親友が関東でシングルマザーとして3人の子供を育てています。

東日本大震災の時、原発事故の直後に、一家で関西の私の家に避難してくるように勧めました。

放射能の被害がどこまで拡大するか分からない時期だったので、子供達だけでも一時的にどうかと尋ねてみました。

彼女の返事は「行けない」というものでした。

理由を尋ねると、「ホントにヤバイ状況になった時、周りを差し置いて自分の子だけ先に逃がしていたことが知られたら、その先ここで生きて行けない。」というものでした。

彼女らしいとは思いましたが、私は二の句が継げませんでした。

おそらく彼女の考え方は、アスペルガー症候群の考え方の真逆を行くものです。

彼女の意見は、共同体の立場から見た正義です。

でも、本当に危険な状況がせまった時、果たして生き残れるだろうか、という個の生き残りを問うならば、非常に危うい考え方です。

アスペルガーは人類が生き残るために必要だった?

私は、きっとアスペルガー症候群の遺伝子は、人類が生き残っていくために残されているのだと思っています。

非常事態に陥った時に、人類が絶滅しないため、一定の割合でアスペルガーの子が産まれるように、遺伝子に組み込まれたのだと思っています。

氷河期に突入した時、集団で全員同じ方向に移動していたら、クレバスに落ちたり雪崩に襲われたりして、一度に全員が死んでしまうかもしれません。

集団ごとに全滅していたら、人類が途絶えてしまうかもしれない。

だから一人二人、自分勝手な奴を作っておいて離脱させておく。

これが、アスペルガー症候群の役割の一つだと思っています。

もちろん、孤立するのも十分危険ですが、それを好む性質なので、決して不幸ではないのです。

嫌なことがあると、太郎は家出をします。

自転車や電車に乗って時間を過ごし、気持ちを落ち着けて戻って来ます。

主人も放浪癖があったと姑から聞いていますし、今でも外国にいる方が楽しそうです。

我が家のアスペルガー達には、常に遠心力が働いているように感じられます。