管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)
「管鮑の交わり」の意味
利害によって変わることのない、互いに理解し信頼し合った、きわめて親密な関係。
「管鮑の交わり」の語源・由来
「管鮑の交わり」の語源は、「史記」管晏伝にある、以下の故事が由来になっています。
斉(せい)の国の宰相・管仲(かんちゅう)が、幼なじみの鮑叔牙(ほうしょくが)のことについて次のように語りました。
若かった頃、鮑叔と一緒に商売をしたことがあったが、儲けを分けるときには、いつも私の方が多めにとっていた。
しかし、鮑叔は私のことを「欲張り」だとは言わなかった。
私が貧しいのを知っていたからだ。
ある時、私が鮑叔のために事業を考えたが、その結果はうまくいかなかった。
この時も、鮑叔は私のことを「愚か者」だとは言わなかった。
成功する時もあれば失敗する時もあることを知っていたからだ。
私は、いろいろな君主に仕え、そのたびにやめさせられたが、鮑叔は私のことを「無能」だとは言わなかった。
まだ運に恵まれていないだけだと知っていたからだ。
私は、かつて3度戦いに出て、3度とも逃げ帰ってきた。
この時も、私のことを「卑怯者」とは言わなかった。
私には年老いた母がいるのを知っていたからだ。
斉の国の公子・糾(きゅう)が敗れたとき、守役の召忽(しょうこつ)は死を選び、私だけが囚われの身となったが、私のことを、「恥知らず」とは言わなかった。
私が小さな恥にはとらわれず、天下に名が知られないことこそが恥であると考えているということを知っていたからだ。
こうして考えると、私を生んでくれたのは親であるが、本当に私のことを理解してくれているのは鮑叔だ。