アスペルガーの息子と夫/似ているのは顔だけではない【夫-1】

息子・太郎のアスペルガー症候群について勉強しようと、アスペルガー症候群関連の本を読み進めるうちに「あれ?」と思いました。

書かれている特徴の多くが、夫にもあてはまるのです。

「あれ?→もしや?→あれここも→たぶん→ほぼ間違いなし」という、じわじわした気付き方でした。

夫もアスペルガー症候群?

家庭内で、アスペルガーの息子・太郎への支援を始めるにあたり、夫の理解を得ることは、当然必要だと思いました。

正直に言えば、私の育て方が悪いという夫の主張が間違っていたということを、公的機関の検査結果を叩きつけて知らせてやりたかったのです。

でも、太郎のアスペルガー症候群の説明をするのに、夫自身も該当するであろう内容を避けて話ができるだろうかと、甚だ疑問に感じていました。

子供のアスペルガー症候群を受け入れるより、夫にとっては難しいんじゃないかとも思いました。

もともと、夫はあまり私の話を受け入れません。(現実的な譲歩をしてくれたことはありますが。)

これほど重大なことを、私が言って納得するとは思えませんでした。

アスペルガーな夫の基本情報

夫がヨーロッパの大学の博士課程に留学中に、私達は出会いました。

遠距離の付き合いが面倒くさくて、結婚の決断は早かったです。

今思えば、もう少しお互いのことが分かってからの方が、良かったのだろうと思いますが。

アスペルガー症候群の方(大人の方)は、「外側」に対しては、完璧に自分を演じきるところがあるので、当時の私が時間をかけたからと言って、見抜けたかどうかは不明です。

一緒に暮らしてみて、彼にとっての「内側」の人間になってから、徐々に宇宙人具合に気付き始めました。

夫は、かなり特殊な学問の博士号を持っています。

現在は、それを活かした専門職を生業としています。

語学に長けています。(日本語を含む5言語のマルチリンガル)

国内での最終学歴は、東大大学院です。

ここまでの情報だと、さぞ恵まれた教育環境の成育歴だろうと思われるかもしれませんが、実際のところは真逆です。

姑は、片手に近い数の結婚(と離婚)を経験し、最初の結婚で設けた長男(太郎の父親=夫)のことをほとんど育てていません。

夫は、養護施設と親戚の家で多くを過ごし、中学時代は母親とその恋人(姑より夫の方が年齢が近い)との3人暮らしだったそうです。

中学までの成績は、最底辺を独走、進める高校は無いと見放され、姑が用意した選択肢は、「料亭の丁稚」か「寺の小僧」。

夫は、後者を選択しました。

寺に行くと「高校ぐらい行かねば」と和尚に言われ、近所の定時制高校におまけで入れてもらいました。

そこでも最底辺の成績でしたが、ここで何かが起きます。

本人が「この大学に行く!」と宣言し(誰も信じない)、本当に合格。

その後、留年も浪人もして東大大学院に進み、博士課程へ。

更に、ヨーロッパに留学して(ここで結婚)博士号を取得します。

夫は宇宙人?

夫の宇宙人談義のネタには、不自由しません。

缶コーヒーのCMで、宇宙人のトミー・リー・ジョーンズが、「この星の住民は・・・」と言っていますが、あの様子が似ています。

夫は、「この国の人は…」を良く使います。

私たちは、ヨーロッパの主要都市の一つで新婚生活をスタートさせました。

しばらくすると、起きている夫に会わなくなりました。

初めの3日間ほどは、スーパーや郵便局や銀行をチェックしたり、基本的な生活インフラを整えるのに付き合ってくれました。

でも、すっかり時差ボケが解消できた頃になっても、夫は日中ずっと眠りこけているのです。

深夜に起きて、論文を書いたりしているようでした。

私が、朝・昼・晩と食事を用意しても、起きません。

声をかけても、起きられないようです。

冷蔵庫に食事をしまっておくと、夜中にお腹が空いて食べているようでした(食べた跡がある)。

そのうち、私の現地語の語学学校がスタートして、私が出かけるようになると、完全にすれ違ってしまい、寝顔を見るだけになりました。

夫には、そういう生活が普通で、結婚したからといって変える必要はない、と考えていたそうです。

彼が、「食事は家族で食べる」ということを習慣として始めたのは、私が堪忍袋の緒を切らして、叩き起こしたことがきっかけです。

その時のことを、夫は子供たちに、「ある日突然叩き起こされて、一緒にご飯を食べるようになった」と話していました。

期待されている役割が分からないのが、アスペルガー症候群の特徴

私が太郎を妊娠中、ひどい悪阻で吐き気が止まらなくなり、脱水症状を起こして、夜中に緊急入院したことがありました。

私は着の身着のままで、点滴を受けながら病室に落ち着きました。

夫に必要な物(下着やパジャマ、歯ブラシなど)を届けてもらわないといけません。

持って来て欲しい物を言っても、夫はうなずくだけでメモしないので、「メモはいらない?」と聞くと、「大丈夫」との返事でした。

翌朝、日が高くなっても夫は来ません。

日が暮れるころにやっと来て、渡された物は「奈良の仏像」という単行本一冊でした。

「暇だろうから」という理由でした。

季節は夏で、ヨーロッパでは珍しいほど暑い年でした。

通常ならエアコンがいらない国なので、病室にエアコンの設備はありません。

私は、汗でべとべとでした。

「下着は?パジャマは?」と聞くと、「忘れました」という返事。

その日のうちに、なんとか届けてもらいましたが、「君は寝てたけど、僕は二回も往復してとても大変だった。」と文句を言われました。

アスペルガー症候群の方は、期待されている役割が分からないという特徴があります。

良く表れています。

アスペルガー症候群の特徴を知り「これは、私のことです。」

太郎の検査結果について、私の言うことは受け入れない夫でも、専門家の言葉なら受け入れるのではないかと、期待していました。

夫自身が自分のことに気付くかどうかは夫に任せて、私は一切触れないことにしました。

太郎の発達検査の結果の書面と、自分が買った本を積み重ね、まずは独断で児童相談所に相談したことや、発達検査を受けさせたことを謝りました。

そして、「結果が届きましたので見てください。知識を得るために本も買って読んでいますが、良ければ見てください。」とだけ言いました。

夫は書面を読み、いくつかの本をざーっと確認しました。(速読みたいなことができます。)

そして、「この本に書かれていることは、私によくあてはまります。」「太郎は小さい頃の自分にそっくりです。私も大丈夫だったから、太郎も大丈夫です」と主人は言いました。

太郎のことも、自分もアスペルガー症候群であろうことも、あまりにもあっさり認めてしまったので、私はずいぶん拍子抜けしてしまいました。